オリーブホットハウス

Journal

#5

お話会のきろく Part.2

2024.03.18

オリーブのお昼ごはん

Part.1よりつづき


一人ひとりが生きたいように生きられるサポート

勇川 かつての共同作業所は、いわゆる就労支援をしていた場所ではなかったと思います。法律が変わって、就労継続支援という名称に変わった。看板が変わった結果、一般就労に向けた訓練をする施設という意味合いを強くもつようになり、私たちにもそうした機能が求められるようになりました。

木谷 気がつけば、就労支援の事業所という位置付けになっていたということですか。

勇川 そういう側面もあります。われわれの事業所は、いわゆる居場所と言われるような機能も担っているのですが、そこに対して最近はお金がつかなくなってきました。成果が見えにくいからです。それを評価する軸がないんですね。だから今後、可視化できる評価軸が求められると思います。
かつて、共同作業所がどういった役割を果たしていたかというと、同じ障害を抱えた方々が集まり、話をして、自分はここに居ていいんだということを実感したり、自分だけがしんどいんじゃないだっていうことを感じられる場所でした。あるいは、年金をもらって生活するってこういうことなんだと、手帳を取ったらこんなふうな生活ができるんだと思って手帳を取ったりとか。ほかのひとの話を聞いて知ることができた。作業所には、可視化できないものが詰め込まれていたんだと思います。
ところがいまの就労支援の枠組みでは、そうした可視化されにくい日々のことが評価されにくくなって、求められもしなくなった。居場所よりも、工賃をたくさん出すこと、一般就労にどれだけ移行させられるかが問われています。だから事業所は、評価されるほうを追い求めてしまう。

木谷 一般就労への移行や工賃アップが法制度で目指されると、どうしてもそこからこぼれ落ちる層がいるということですよね。働くこと以外に、というか、働く以前に大切なことが満たされないままに働くことが求められている。それは、障害のある方のニーズと法制度の求めていることの間でズレがあるということでしょうか。

勇川 本人の希望に応じて、施設にずっといるのではなくて、一般企業での就労を目指すという大枠の方向性は悪いとは思いません。
令和6年度の報酬改定で就労選択支援という事業が新しくできるようになり、障害のある方が就労系の福祉サービスを利用しようと思うと、就労選択支援というアセスメントを受けることになります。その際に、あなたは就労を目指しますか?あなたは就労したことがありますか?と聞かれ、まずは一般就労にチャレンジしてくれと、これまで以上に働くことが促進されるのではないかと懸念しています。
一般就労をするべきだというのはやはり社会全体に浸透してしまっている価値観で、福祉サービスも同様なんだなとは思います。その際に、一人ひとりがどのような生活を送りたいと思っているかまでは加味されません。

駒澤 精神科病院を退院した患者さんたちが集まる患者会というのが全国にたくさんできた時期がありました。
あるひとの家に行ってお話しする。ご飯を食べたり、場合によっては、何か作業をしたかったら仕事を取ってきてやるとか、そういう患者会という活動があったんですよね。
どんなふうに生きていきたいかというと、仲間と一緒に生きていきたい。セルフヘルプですよね。楽しくご飯食べたり語ったりしながら。それがいまできないということです。
そういった方々は補助金をもらって、共同作業所ということでやってきた。でもそれがいつの間にか就労継続支援B型の事業所になった。中にいるひとたちは、別に就労支援を受けたいわけじゃない、そういうひとたちもいたんです。

木谷 なのに、就労が目指される仕組みに取り込まれていくわけですね。

駒澤 そうですね。働きたいけれども働けないひともいらっしゃいます。体力的にとか、いろいろな病の問題とかで。働きたくないひともいらっしゃいます。
そもそも、私もそうですけど、過重労働で鬱になって仕事ができなくなっているひともいっぱいいるわけですから。それは別に再発するからじゃなくて、行きたくないんです。私もじゃあもう一回フルで働けるかというと、働きたくないんです。
いろいろなひとがいらっしゃるけれども、そのいろいろなひとたちが生きたいように生きられるサポートが欲しいということだけだと思います。



社会的就労という場

木谷 駒澤さんのご著書に社会的就労の話が出てきますよね。福祉の枠組みではないので、そこには支援者がいない。でも、一般就労でもない。そこには障害のあるひともないひともいて、何らかの困難を抱えたひとたちが働いている。そういう場が実際にあるんですよね。

駒澤 社会的就労は、障害者総合支援法の枠組みではありません。そこは合同会社だったのですが、自分たちが出資もするし経営もする。みんなで決めてやっていく。身体障害のある方、知的障害のある方、精神障害のある方が助け合って仕事をされている、労働されているんです。支援者の方はいなくて、自分たちで話し合ってやっているんです。それぞれにできること、苦手なことがあるのですが、それを補いあって、助け合って働かれている。
でもやっぱり最低賃金にはなかなか届かない。だから地方自治体から補助金をもらって、賃金の一部にあてています。
労働時間は1日6時間で週30時間です。残業は聞きませんでした。それでお給料が10数万円。そこに障害年金をプラスすれば、17、8万くらいになって、なんとか生活していける。

木谷 支援者がいないというのが驚きでした。実際にそれで成り立っているのかと。

駒澤 「現場に支援者はいらないですか?」って、働かれている当事者の方にお聞きしたら「いらないです、働く場には」と答えられました。
というのは、何か相談したいことがあったら、同じ建物の上のフロアに就業・生活支援センターがあるのですが、そこに行けばいいと。お金のことや生活のこと、仕事のことも、全部相談できる相談員がいます。だから、現場に支援者はいませんが、何か相談したいときには、相談できる支援者が近くにいる。働く場に、別に支援者はいなくても、自分たちで助け合って働いているからいりません。というのが拙著の第3部に書いてある、社会的事業所です。

勇川 いま駒澤さんが言われたみたいなことが、多分原点なんだろうなと思います。もともと作業所も、当事者が家族や地域の方々と一緒に、自分たちがどうありたいかというのを中心につくってこられたものです。それがあるべき本当の姿だと思うし、そこにソーシャルワーカーの理念が詰め込まれているはずです。
それがいまは全く違った方向に進んでいる。運営側が運営しやすいような枠組みをつくって、そこに障害のある方を当てはめているという状態です。



何が求められているのか

勇川 ただ、実際にはソーシャルアドミニストレーションと言われるような、福祉施設の管理に関わる事務作業というのが本当にたくさんあって、私もその仕事をしているわけですが、それだけをやる部門が一つあってもいいぐらいです。それぐらい大変なので、じゃあそこをまるごと当事者の方にお願いできるかというと、それはなかなか難しいという気もします。

駒澤 事務仕事がたくさんあって煩雑なのは、就労継続支援B型が、現行の障害者総合支援法の枠組みにあるからなんですよね。社会的事業所なんかは、障害者総合支援法に関係ないものですから、そうした煩雑な事務仕事はほとんどないんです。
さっき言った患者自治会でも、自分たちがやりたいようにやれる空間をつくるために、補助金を申請するのにソーシャルワーカーの方に手伝ってもらわないといけないところもありますから、当事者だけでというのではなくて、当事者と支援者が一緒になって自分たちが生きていく場、居場所であったり働き場であったりをつくっていくことが必要なんじゃないかなと思います。

勇川 一人ひとりのメンバーごとにニーズは異なります。でも、もっと多様であっていいと私なんかは思います。働かないといけないとか、働いたほうがいいという価値観がやっぱり強く、それは周りからそう思わされてきたという側面もあると思うので。そういう意味では、働き方や生き方をもっと多様に考えられるような支援が必要なんじゃないかって思います。
私たちソーシャルワーカーは、そこまで考えた支援をし、アクションを起こしていかなければならない。いまのニーズに応えることだけなくて、そのニーズの発生源であるいまの環境、社会を問うていくということも同時にしていかないといけないと思っています。

駒澤 冒頭、自己紹介で申し上げましたが、自身がうつ病を患ったとき、福祉や法定内の就労支援施設は利用せずに、同じような体験をもつひとたちとお茶したりご飯を食べたり、おしゃべりしたりすることで徐々に回復して、復職するという経験をしました。本当に大切なことは、支援施設やサービスそのものではなくて、そこで何が提供されているか?ということだと思います。
インタビューをした研究協力者のひとたちの中には、たまたま通っている事業所が、そのひとにとって、そのタイミングでは必要な場になっていたということはあったと思います。
でも、実際にはなくてもいいような場がいっぱいできてしまって、それで誰かしらが儲けているので、これはちょっと構造的におかしいんじゃないかということが、今日したかった話です。

木谷 お話を聞いて、すっきりした部分もありつつ、むしろ疑問は疑問として残したまま、これからも考え続けたいと思いました。今日は、どうもありがとうございました。