オリーブホットハウス

Journal

#9

働くということ

2025.08.31

オリーブのお昼ごはん

数日前に梅雨入りしたが、訪れた日もその前の日も雨は降らずに、もう夏本番一歩手前といった暑さだった。この日は、オリーブの畑を訪ねていた。畑は縦横2、30メートルほどあるだろうか。すぐ隣を東海道新幹線、外環状線、その下を地下鉄東西線が走り、マンションや大型店に囲まれた畑は、そこだけがぽっかりと穴があいたように広がっていた。

キュウリのツルは私の背丈を越えたくさんの実をぶらさげていた。他にもナスやトマト、オクラやトウモロコシなど、幾種類もの野菜が植えられている。この日は、Yさんという30代の女性、70代の男性、それからスタッフの直崎大生さんの3人が作業をしていた。

何度か休憩をはさみながら、キュウリやトウモロコシになる前のヤングコーンを収穫したり、ナスの芽かきをしたり、わずかにはえた雑草を抜くなどしていた。広い畑に散らばった3人は、屈んだり向こう側に手を伸ばしたりして、それぞれの持ち場で作業を続けている。直崎さんは時折、メンバーが作業をしやすいように先回りをして場を整え、指示を出しながら自身も土を掘ったり収穫をしたりして忙しなく動いていた。メンバーのふたりも、丁寧に、慣れた手つきで作業をこなしていた。

畑の作業を終えると、オリーブの建物の裏側にある屋根付きの作業場へ移った。収穫したてのキュウリやオクラを袋詰めし、前の週に収穫を終え乾かしておいたジャガイモの土を落とし始めた。積み上がったケースにはそれぞれ数百個のジャガイモが入っている。その中から一つひとつを取り出しては、手袋をはめた手で土を落とす。30分経っても1箱終わらなかった。午後には市のセンターに野菜を売りに行き、ジャガイモは翌週にひかえた受注分をさばかなければならない。けれど、間に合っていないようだった。でも直崎さんは急かすようなことはひとことも言わず、黙々とメンバーとともに手を動かしていた。

前任者が退職した昨年から、中心となって畑を任されるようになった直崎さんは、近所の農家の畑を観察したり本を読んだりしてオリーブの畑で試行錯誤を繰り返してきた。その結果、収量も売上も一昨年から倍増したという。大変ななかでも、やりがいを感じていることがうかがえた。メンバーのふたりにも、どんなときにやりがいや楽しさを感じるか聞いてみた。するとYさんは、「ほんとうは楽しいはずなのに、楽しめないんです」と言った。

たとえばトマトの収穫で、未熟から完熟まで赤のグラデーションがある中で、どれを収穫するか迷ってしまうという。たとえ間違えたとしてもそれほど大きな影響はないはずだが、慎重になればなるほど一つひとつの作業には時間がかかり、余裕がなくなるのだろうと思った。男性にも聞いてみたが、「まぁ、収穫のときですね」と言い、オリーブでつくったキュウリではなく農家がつくったもののほうが美味しいからと、先日滋賀まで買いに行ったと話した。

ふたりの話を聞いて少し戸惑った。Yさんや男性が話したことは、わたしが想像していたのとは少し違った。自分でつくる喜びや、とれたてを味わう醍醐味といった話が聞けるかと思ったが、そうではなかった。

ふたりは、オリーブに通い続けて長い。男性はもう17年になるそうで、通い始めた頃からずっと畑の作業を続けていると話した。前職も肉体労働で、体を動かすほうが性に合っているという。Yさんもコロナ禍の頃に畑の作業を始め、もう3年以上続けている。そんなYさんが作業の合間、前から訪ねてみたいと思っていた尾瀬を週末に訪ねたと話し出した。どうして尾瀬なのかと聞くと、子どもの頃に聞いていた歌に尾瀬の水芭蕉が出てきて、いつか見てみたいと思っていたからだと言った。

それから、スーパーではあまり売っていないヤングコーンがオリーブの野菜の中では特にお気に入りなのだと教えてくれた。収穫したてのヤングコーンは茹でて食べると美味しいらしい。それを聞いていた男性が、食べたことがないと言ったので、収穫したばかりのヤングコーンをみんなで食べることにした。青臭いと言いながら男性も食べていた。

ふたりのことをわたしは知らない。どんなふうにしてオリーブにたどり着いたかといったことももちろん知らない。にもかかわらず、ふたりはきっと、とれたての野菜を食べるのが喜びだといったことをいきいきと語ってくれるだろうと、どこかで思い込んでいたのかもしれない。そうした喜びがないわけでもないのだろうけど、この日聞いた話は、わたしの勝手な願望や思い込みをするりとかわすものだった。それが清々しかった。

日々の仕事が楽しいとは限らない。そんなことは誰もが知っていることだし経験していることだと思う。それでもときに嬉しいことがあり、休日に出かけることを楽しみにしながら、またがんばろうと思って続けていられる。Yさんも男性も直崎さんも、わたしだって、そんなふうに、それぞれのやり方で仕事というものに向き合っている。毎日いろいろあるが、まぁ続いている。辞めたくなったら辞めても良い。それでも辞めずに続けていることのなかには、葛藤や折り合い、諦めなど、いろいろな思いがないまぜにあり、それを含み込んだ時間の積み重ねがそれぞれにある。そこにはけっして、楽しいとかやりがいといったことばにはおさまらない、自分だけのかけがえのない時間があるはずだ。



訪問日=2025年6月26日(木谷恵)