オリーブホットハウス

Journal

#1

オリーブのお昼ごはん

2022.07.22

オリーブのお昼ごはん

オリーブでは毎日、お昼ごはんにおみそ汁をつくっている。おみそ汁はその日のお昼当番がつくることになっていて、その日の当番によってさまざまに個性が出ると聞いた。ある人はちくわで出汁をとり、ある人は具をもりだくさんに投入する。乾燥わかめの量が予想を超えて増え、わかめたっぷりの黒々としたおみそ汁ができたりもする。

この日も朝礼で「だれかお昼当番やる人?」とスタッフが尋ねていた。

・・・
とりあえず誰も手をあげない。
「やる人?」
・・・

20人ぐらい利用者がいるのだけれど、やっぱり誰も手をあげない。みんなつくりたくないのだろうか。

「やる人?」
・・・

どうなるんだろうと思っていたら、「ぼくやりま〜す」と男性が手を挙げた。おぉ。

朝礼が終わると「じゃあお願いしますね」と言われ、驚く男性。「えっ?もうやんの!?」。たしかに時計をみるとまだ9時45分だった。
「で、なにしたらええのん?」と聞く男性に、「おみそ汁とごはん炊きをお願いします」とスタッフは答えた。お昼当番はとても久しぶりらしかった。
言われるままにキッチンに立った男性は、まずはおみそ汁づくりから始めた。湯を沸かすための大鍋を引っぱり出し、中間あたりまで水を入れ「よしっ」と蛇口をしめる。すると、「もうちょっと」とスタッフに言われ、ちょっと水を足す。

「もうちょっと」また水を足す。
「あともうちょっと」
「これぐらい?」
「いやもうちょっと」
「?」

あふれんばかりに水が入った鍋をたぷたぷ揺らしながら、男性は大鍋を火にかけた。20人分のおみそ汁づくりというのはやはり大変そうだ。
次に米を炊きましょう言われ、男性は言われるままに米を計量し始めた。「10以上は数えられへんからね」と言うので、スタッフが一緒に数える。

「いち〜、に〜〜、さん〜〜大根もいれましょか〜、よん〜、畑からもらってきて〜、えーっと……」

おぉ、混乱してきた。なんとか目標の11合までたどり着くと「あとはおまかせしました〜」と言ってスタッフはどこかへ行ってしまった。残された男性は困った様子で「食べるのは大変だぁ……」とぼやいている。
私も手伝うべきか声をかけるべきかと迷っていると、気を取り直した男性が「えーっとまずはなにからや?」と言いながら冷蔵庫の野菜室をあさり始めた。
そこにさっきのスタッフが見たことないほど巨大な大根を持って戻ってきた。お〜でかいでかいと喜ぶ男性。そのままタワシをつかんで、大根についた土をこすり洗う。洗い終わるとすぐにヒゲ根をぷちぷちちぎり始めた。えらい上品なことと言いながら、今度は人さし指ほどの大きさしかないちんげん菜をさらにこまかく刻んでいった。そしてときどき包丁片手に動きが止まって、次になにをするのか考えている。

そのときふと、男性が歌を口ずさんでいることに気がついた。なんとなく男性のおうちにお邪魔しているような気分になっていたのは、歌声がずっと聞こえていたからかもしれなかった。聞くと、家でも3日に1回自炊をしているという。慣れたものだ。

以前、一汁一菜を提唱する料理家の土井善晴さんが、食べることよりも料理をすることのほうが大切と書いていた。おいしく仕上げようと思えば、素材を生かすことを考えるし、食べる人は子どもかお年寄りか、好みはなにかと考えたりもする。特別に意識していなくても、「食材、食べる人、食べる時間などの条件によって、何かをすることになる」のが料理だとあった。

おみそ汁は無事できあがった。20人どころか、30人分はありそうだ。食べた人が口々に「今日のおみそ汁おいしかったよ」と男性にねぎらいの言葉をかけていく。でも聞こえているのかいないのか、男性は「ん〜」とか「はいは〜い」とか気のない返事をしてみんなとおなじようにおみそ汁をすすっていた。
しかしよくみてみると、自分の分は薄めてのんでいる。あとから聞くと、オリーブでつくるときは家でつくるときよりも濃い目の味付けにしているらしかった。けれども男性はなにも特別なことはしていないといった感じで、清々しいほどにふつうだった。

その時スタッフが「あれ?入れ歯ないやん?」と言った。「ほんまやな。家に忘れたんかな」。スタッフに言われようやく気がついたようだった。この男性が30人分のおみそ汁をつくったことがとてつもなくすごいことのような、いやそうでもないような、よくわからない気持ちになった。

みんなの分をつくるとなると、うまくつくれるかと不安になる人もいる。考えたり動いたりするのが億劫なときもある。だから誰もがいつでもつくれるというわけではない。土井さんも、しんどければいつでもサボればいいと言ってた。
それでもオリーブのお昼ごはんづくりは、オリーブ開所時の35年前から続けられている。そのときどきで、つくれる人がつくるというやり方で、ずっと続いてきたのだ。

料理をしてみんなで一緒に食べるというのは、なんでもないことのようにみえて人にとっては大きく、ときに重く、でもとても大切ななにかを実現しているのかもしれない。オリーブでは今日も、誰かがつくったおみそ汁をみんながいただいている