オリーブホットハウス

Journal

#3

醍醐寺での作業

2024.01.21

オリーブのお昼ごはん

梅雨はまだ明けていなかったが、確実に夏へと向かう中にあった。早朝、取材に向かう車の中で、ラジオが熱中症アラート警報の発表を伝えている。すでに危険そうな太陽が車中の気温をぐんぐん上げていた。こんな日は不要不急の外出は避け、エアコンのある部屋で過ごさなければいけない。
なのに、今日は総面積200万坪といわれる巨大な世界遺産、醍醐寺での作業の取材日である。正直、体がもつか心配だった。でもこの取材は炎天下か極寒の中でやりたいと思っていた。外での労働は、同じことをやっていても清々しくできる日もあれば命の危険を感じる日もある。たった1日の取材なら、極限の1日にしなければという妙な気負いがあった。

9時前、鬱蒼とした藪の中に建つ小さな2階建家屋に案内された。そこにはすでに汗びっしょりの女性スタッフ1人と男性メンバー2人がいて、小休憩をとっていた。1時間前から作業をしていたらしい。玄関前に掲げられた温度計は34℃を指していた。
建物の2階に案内されると、10畳程の広さの畳の部屋があった。やけに天井が低く、開放感はない。それでも冷房の風を感じ、ほっとした。
ここは休憩をとったりミーティングをしたり、オリーブが拠点として使っている場所。冷蔵庫や電子レンジ、テーブルなどが一通り揃い、休憩時間にくつろげるようになっていた。
軽くミーティングを済ませると、みんな外に繰り出していった。わたしも水を飲んで首にてぬぐいを巻き、気合いを入れて外に出た。

7年前程からオリーブは醍醐寺境内の「営繕」と呼ばれる作業を請け負っている。その内容は、道や水路、升、トイレの清掃作業などで、いくつかの業者と分担する。
オリーブが設定する夏シフトでは、午前7時50分に朝のミーティングを始め、正午から1時間の昼休憩をはさんで、午後にもう1時間作業をして終えることになっている。
従事するメンバーの大半が男性と聞いた。オリーブの作業には室内でマイペースに進められるものもあれば、こうして体を動かし、ハードではあるが最低賃金に準じた時給をもらえるものもある。体力や稼ぎたい金額に応じて作業が選べるのは良いなと思った。

わたしが訪ねた日は、職員の女性が1人と、トイレ班、営繕班と呼ばれる班にそれぞれ男性メンバーが2人いた。班は別々に行動する。まずはトイレ班について行くことにした。
その日はいつも通り下醍醐と呼ばれる境内の8ヶ所のトイレをまわる予定で、三宝院にある仮設トイレからスタートした。
まずはゴミを集めてからブラシで便器を磨く。それからホースで水を撒き、デッキブラシで床をこすってワイパーやモップで水を掃き出す。その後、雑巾で便器を拭き上げ、手洗いや鏡、取手を拭いて、消毒スプレーをかけて終了。

とにかく境内は広い。世界文化遺産に指定され、国宝や重要文化財がひしめきあう境内は国内外からの観光客で賑わい、桜や紅葉シーズンになるとトイレ掃除は3回転してもまだ足りないという。ひとは美しいものを見て歩くだけではない。排泄もして歩くのだ。

トイレはみるみるきれいになっていった。きれいになると道具を片付け、次のトイレに向かってまた歩き出す。まるでスタンプラリーのように、トイレというポイントを結んでいく。4ヶ所ほどを周ったところで、ちょうど折り返し地点に差し掛かり、わたしはトイレ班に別れを告げ営繕班の取材へと向かった。

営繕班は2人の男性メンバーと1人の実習生が、300メートルほど続く桜並木の落ち葉をブロワで吹き集めているところだった。もう11時を過ぎていたが、先はずいぶんと長そうだ。日焼けしないよう長袖長ズボンの実習生は、かなりくたびれた様子だった。
メンバーも「もうヘロヘロです」と言いながら、ブロワを持って動きまわっている。片手で持つエンジン式ブロワの重さは5キロほど、長時間の使用は振動がこたえる。まだ落葉シーズンではないので、集めた落ち葉の量はさほど多くなかったが、道はすっきりしていた。

ブロワをいったん片付けにさっきの建物に戻り、もう一度同じ桜並木にやってきた。するとメンバー2人はおもむろに陽の当たる石畳の上にべたっと座り込んで、草を抜き始めた。
手の届く範囲で見つけ次第抜いていく。広大な境内に対して、その作業があまりに地道に思え、頭がくらっとした。それなのに2人は汗をぎらぎらさせながら、膝パットを地面に擦りつけ黙々と草を抜き続ける。膝パットがなければ1週間でズボンに穴が空くらしい。わたしはなんとか木陰を見つけ、そこにしゃがみこみ加わった。案内をしてくれた施設長の正岡さんも、気付くと横で抜いていた。

炎天下の地面にしゃがみこみ、ひたすら草を抜く大人たち。その横を通り過ぎる観光客や袈裟を着た僧侶たち。境内の景観を維持するのに必要な清掃はいま、こうしてオリーブのメンバーたちが担ってやっている。
コロナのときにエッセンシャルワーカーと呼ばれ、たとえ社会が一旦停止したかに見えてもその陰で働き、社会をまわし続けるひとたちがいた。ここも同じだ。明日も誰かがトイレを磨かなければトイレは汚れていくばかりだ。なのにわたしは、気温や暑さのことばかり心配していた。心配したからといってどうにもならない。彼らはしっかり体調管理に気を付け、朝には気合を入れて醍醐寺へやってくる。醍醐寺を支えているのは、彼らのようなひとたちだと思った。

途中、メンバーと正岡さんの会話が聞こえてきた。ふたりともカメラが趣味らしく、会話が弾む。
「最近はコダックのフィルムが多いですね」「ハードオフによく掘り出し物を探しに行きます。あそこはわたしのワンダーランドです」「わたしも引きこもりがなくなった頃にブックオフめぐりをしていました」という会話に、もうひとりが、「コダックといえばポケモンですね」と入っていく。いつもこんな軽口を言いながら作業をしているのだろうか。
わたしも話しかけてみた。ひとりはわたしと同い歳で、もうひとりはひとまわりほど上とわかった。ふたりはこれまでのことをいろいろと聞かせてくれた。オリーブに来るまでも来てからも、簡単な道のりではなく、たくさん悩み、考え、やってきたことがうかがえた。

ひとりに、「この仕事きつくないですか?」と聞いてみた。すると当然のように、「しんどいですよ」と返ってくる。でも、「帰ってから晩酌するのが楽しみです」とも言った。もうひとりが、「体が動く限りこの仕事を続けたい」と言い、するとまたもうひとりが、「いやらしい話、(オリーブの他の仕事とは)お金が違うんでね」と言う。
折り合いをつけてやっている。あまりにあたりまえの話に、返すことばが思い付かない。けれども別に何かことばを返さないといけないということもない。沈黙が自然にある。そんな空気が漂っていた。
これまで一緒に作業をしてきたふたりは、長い時間をともに過ごしてきた。だからわたしのようなはじめて会う人間に対しても、ふたりはお互いに話すようにして自分のことを話してくれた。それはわたしを信頼しているからというのではなく、ふたりが積み上げてきた時間の一部を分けてくれるような感じだった。

そんな話を聞きながら草抜きを続けていると、いくつもの水滴が地面に滲んだ。

「雨降って来ましたー?ちょうどいい感じやねー、ミストシャワー」

雨の中、それでもまだしばらく草をむしり続けたが、少し本降りになってきた。時計を見ると11時47分。昼休憩まであともう少しだ。
「もうちょっとやれんねんけどなー、避難する?」とひとりが言った。もう引き上げても良いのではないかと思ったが、桜の木の下にいったん避難し、しつこくそこでも草を抜き続けた。さすがに大粒になってきたので、屋根のある門の下に行ってまた雑談をしていると、昼休憩の時刻になった。

雨のおかげで暑さは少し和らいだようだった。それでも冷房のきいた部屋に戻るとほっとした。午前で終わるメンバーもいたが、他のメンバーはそれぞれ机に向かい、持参した弁当やカップラーメンを食べ始めた。午後からの1時間を終えれば終了だ。

今日は水曜日。家に帰れば束の間の休息をして、また明日の朝には気合いを入れてやってくる。
目も眩みそうな暑い日も、手のかじかむ寒い日も、桜の花びらが舞う春の日も、穏やかな風が吹き抜ける秋の日も、ときに障害や病と闘い、ときに受け入れもしながら、彼らはこうして続けてきた。
一緒に過ごしてわかったのは、淡々と繰り返されるように見える日々こそが、彼らのこれまでの結晶であるということ。そんなあたりまえのことを知った一日だった。


訪問日=2023年7月12日(木谷恵)