オリーブホットハウス

Journal

#6

内職 積み重ねられる場景

2024.09.07

オリーブのお昼ごはん

ちょうど腰を下ろしたソファーが一階全体を見渡せる位置にあったので、しばらくそこから眺めていた。
歌うひと、しゃべるひと、黙って作業をするひと……ここに似た場所が、わたしの住む村にもあると思った。野菜を育て、加工をする、老人女性会だ。いつもおしゃべりに花を咲かせ、彼女たちは楽しそうに作業をする。できた野菜を小分けにし、袋に入れ、次々に商品を生み出していく。それは、黙ってパソコンに向かうひとたちの集まりとは少し違う。みんなで話をしながらやるので、よけいに作業がはかどるのだ。
雑談というおしゃべりは、どこからともなく生まれ、まわりを巻き込んでいく。その波には乗ってもいいし、乗らなくてもいい。ただ大切なことは、決しておしゃべりをするためにそこにいるのではないということ。やるべきことがあって、みんなそこにいる。休憩までのあいだはそれぞれの仕事をこなし、おしゃべりを続ける。

梅雨入り前だったが、すでに蒸し暑かった。この日取材に訪れたのは、オリーブの内職の作業場だった。元々文具屋だった建物の1階と2階を使い、数人ずつ分かれて作業を行う。
内職は、オリーブができた35年前から続くいちばん古い作業と聞いていた。いまは、お守りを袋に入れる作業、たとう紙という着物を包む大きな紙にひもを通してシールを貼る作業、車の部品を検品する作業などを行っている。
訪れた日は、たとう紙の作業に取りかかるひとが多かった。そのほかに、さをり職りをするひと、着物をほどいて生地にするひと、部品を検品するひとがいたが、コロナ後、観光客が戻ってきた京都では、着物レンタルが再び賑わいをみせているらしく、着物を包むたとう紙がまたたくさんいるようになった。
たとう紙の作業は、あらかじめあいている穴に平紐を通し、その紐をシールで留めるといった内容だ。作業がしやすいよう、シールの置く場所、仕上げた製品をめくってかぶせる重石の位置が統一されていた。メンバーの手つきはスムーズで、余裕が感じられる。それで歌を口ずさんだり、おしゃべりしたりしていた。

作業をしていた一人が、「ここは高齢者率が高いんですよ」と言った。若いひともいるが、たしかに、退職年齢に近いか越えているひとが多いようにみえた。背後では古めの歌謡曲がかかり、幼い頃に見た兵隊の話をするひともいる。
オリーブができた35年前から、あるいは20年、10年前から、ずっとここに通うひともいる。長く通うひとが多いということは、出て行くひとが少ないということだ。

オリーブに限らず多くの就労継続支援B型(以下、B型)で、一般就労への移行率はずっと低いまま。その結果、利用が長期化して、同じ場所で生涯を過ごすひともいる。そしてそのことが問題視されたりする。でもここに通うひとたちが、ここを出ていくことを望んでいるとは限らない。
そもそもB型は、一般企業に雇用されることが困難なひとに、就労や生産活動の機会を提供する場と位置付けられる。年齢や利用年数に上限がないため、いつまでも居続けられる。だからといって、企業で働くことが推奨されていないわけではないが、なかにはアルバイトをしながら通うひともいるし、もう働かなくても良さそうな年齢のひとも、家にいても仕方がないからと通い続けていたりする。
何人かのメンバーからは、ここが3ヶ所目、4ヶ所目であると聞いた。いくつかの事業所を転々とした後ここにたどり着くことも珍しくないようで、通い続けたいと思える場所がそう簡単には見つからないのだと知った。
日々同じひとが顔を合わせ、作業にも慣れ、互いに気心が知れていくと、おしゃべりにも花が咲く。もちろんすべてのメンバーにとってそうというわけではないが、少なくないメンバーにとって、ここは気の休まる場所であることは間違いない。

「ここでは差別を受けることもないし」とあるメンバーが言った。またあるメンバーは、「長く続けてるのはなんでやろう」と言って、「居心地はいいです」とすぐに自分で答えた。
以前、このjournalの別の記事(#3 醍醐寺での作業)に、「淡々と繰り返されるように見える日々こそが、彼らのこれまでの結晶である」と書いたことがある。
穏やかに時間を過ごすことが、病気や障害、置かれた環境や人間関係によって、簡単にできなくなってしまう。漏れ聞こえてくる話から、彼や彼女たちが、数々の荒波をくぐり抜け、ようやくここにたどり着いたことを想像する。
そんな場に、できることならずっといたいと思うのは当然だろう。もう一度社会の荒波に飛び込もうと思うことがあるとすれば、金銭的な問題か、世間からの強い要請によるものだと思える。純粋に、以前いた場所にまた戻りたいと思うひとはいるのだろうか。

わたしがメンバーに話を聞く最中、あいづちのように笑い声をはさむ男性がいた。話に入ることはなく、ところどころで笑い声をはさみがら、一心にたとう紙の作業を続けている。
休憩時間に声をかけると、彼はスタッフだった。30代半ばで、福祉の仕事は初めてという。まだ働いて一ヶ月も経っていないことなどをゆっくりとした口調で話した。
これまでやってきた仕事は、効率よくこなすことが優先され、彼もそうやって仕事をやってきた。でもここはそうではない。効率性よりも、関係性を築くことが大切だとわかった。けれども、戸惑うことも多いと言う。話を聞いていて、彼の感じる戸惑いは、一般の企業とこうした福祉の場とのギャップにあるのだろうと思った。
企業では効率良く動き、短期間にできるだけ多くの成果を出すことが求められる。関係性が重視されるのは、あくまでも結果を出すためだ。早く、休まず、全力で走り続けなければ振り落とされるかもしれないという不安を抱え、ひとびとは走り続ける。
障害や病気だけでなく、家事や介護や育児などでも、ひとは全力で走り続けることができなくなる。それなのに、走り続けられなくなった途端、居場所がなくなる。それがいまの社会だ。けれどもオリーブのような場では、効率性や成果が一番に求められることはない。
先のスタッフはいま、話しかけられるのをとにかく待っていると言った。気の長い話である。だがきっとここでは、それが正しいのだろうと思った。
今後も社会がスピードを緩めず走り続ける限りは、オリーブのような場所がますます必要になるだろう。

オリーブの内職の場では、今日も変わらず雑談の声や鼻歌が聞こえ、スタッフも利用者も一緒になって作業をしている。「ここでは差別を受けることもない」と思える場所が、福祉の場だけでなく、社会のあらゆるところで増えていけばいいのにと思う。



訪問日=2024年6月12日(木谷恵)