Journal
#8
年末のマーケット
2025.03.04
12月末。京都市役所地下にある地下街ゼスト御池の広場で開かれた京都フェアトレードマーケットに、オリーブが出店するというので取材に行ってきた。このマーケットは、NPO法人国際交流の会とよなか(TIFA)が主催するもので、2015年から毎月開かれている。
この日はオリーブの他に、ネパールの女性たちが編んだ帽子や靴下、アフガニスタンの女性がつくる刺繍のバッグ、福祉施設でつくられた陶磁器や宮城県の被災女性がつくったぬいぐるみなど、さまざまな手作りの品が売られていた。
オリーブは自主製品として製作するさをり織のポーチやマフラー、それから「81歳の匠」がつくったという刺し子のポーチを販売していた。そもそもこの刺し子のポーチに目を留めたマーケットの主催者が、オリーブに声をかけ出店が始まった経緯がある。
マーケットは10時半にスタートした。午前中はスタッフの直崎大生さんと、刺し子のポーチをつくった三島敏行さんが店番に立っていた。まだ開始から30分も経たないうちにひとりの女性がマフラーやポーチをいくつか選び、買って行かれた。直崎さんと幸先良いですねと話した。でもその後客足は鈍り、ポーチを購入するひとがもう一人いたきりで、午前中の販売は終了した。年末とはいえ、人通りがさほど多くはなかった。午後に期待だ。
このマーケットは毎月開かれているが、オリーブは隔月で出店することもままならないと直崎さんは話した。出店するためにはその準備が必要だ。当日も移動時間や店番など、スタッフはほぼ丸一日出店のために時間を割かねばならない。オリーブとしてもさほど売上が期待できない場合、そこにスタッフ一人を派遣するのは簡単なことではないようだ。
それでも理事長の勇川昌史さんは、マーケットへの出店を事業計画に入れ、年間を通じて定期的に出店していきたいと話していた。メンバーが、自分たちのつくるものが売れた瞬間に立ち会えることは、日々の仕事のモチベーションの維持にもつながるし、社会とのつながりを感じられる貴重な機会であると考えているからだ。
今回はフェアトレードを掲げるマーケットで、国際交流の会とよなかのウェブサイトには、「発展途上国の原料や製品を、買い手として買いたたくのではなく、パートナーとして適正な価格で購入することを通じ、発展途上国の生産者の生活向上を図る運動」と書いてある。そうした文脈で開かれたマーケットで、オリーブの商品はお客さんの手にどんなふうに渡ったのだろうか。
ポーチやマフラーを買って行かれた二組のお客さんにも話を聞いてみた。いずれのお客さんも、福祉施設でつくられていることを理解し、それを買うことが何かの貢献になればと話した。同時に、「色に惹かれて」「かわいいから」とも強調した。
メンバーが一つひとつ手づくりするこれらの品は、色も柄もすべて異なる。製作にかけられる時間もメンバーによってまちまちで、もはや商品というよりは作品に近いように感じる。
フェアトレードマーケットのいう「適正な価格」がいくらなのかを考え始めると、正直よくわからなくなった。もしも「生産者の生活向上を図る」ことを目的とするならば、おそらくもう少し高い値付けにしないといけない。けれどもつけられた値段を見てみると、決して高い値がついているとは思えなかった。
そういえば、以前勇川さんがこんなことを言っていた。
「(いまの就労支援の枠組みでは)工賃をたくさん出すこと、一般就労にどれだけ移行させられるかが問われています」
(Journal #5「お話会のきろく Part.2」より)
それなりに良い値段で売れると工賃が上がる。それがつくったひとの生活の向上につながるのなら、ほんとうに良いと思う。けれどもそうしたことがそう簡単にはできないのだということが、そのとき勇川さんの話を聞いて思ったことだった。
企業などでも、商品の価格を決め、どうすれば売れるかを考えるためにマーケット調査をする。そこには多大なコストがかかる。福祉事業所が商品をつくり、売り先を考え、開拓し、売れるように工夫するといったことがいまさまざまに行われている。そうした努力は必要なことかもしれないが、同時に、福祉事業所の職員がそれを考えなければならないというのは少し酷に思えた。オリーブの職員は支援をするひとであって、マーケティングや商売をするひとではないはずだ。そうしたことを得意とする事業所があっても良いかもしれないが、それが一律に求められるのは違う気がする。
勇川さんはマーケットに出店するにあたって、売り上げがすべてではなく、そこで生まれるお客さんや他の出店者との交流やつながりを大切にしていきたいとも話した。
確かにそうかもしれない。店番で来ていた三島さんも、他の出店者の商品を楽しそうに物色し、それがどんなふうにつくられやって来たのかを聞きながら、気に入ったものをいくつか購入していた。
わたしは午前中だけ滞在し、午後の売れ行きは聞いていない。メンバーたちはこの日、どんなことを感じ過ごしたのだろうか。
訪問日=2024年12月26日(木谷恵)